伊坂幸太郎『死神の浮力』(2016)。
連作短編集『死神の精度』(2008)の続編で、本作は長編小説となってます。
凶悪な愉快犯 × 娘を殺害された両親の執念の復讐劇。
死神の仕事は死期が近い人間を7日間調査し、生死の『最終確認』をすること。
そんな死神・千葉が訪れたのは、一年前娘を殺され、犯人への復讐を誓ったある夫婦の元だった。
本作は『死神』の設定に加えて、殺人事件の遺族の復讐という重めのテーマが加わってます。
犯人は最初から逮捕されています。
しかし、両親の目的はあくまで自身の手で娘の仇を討つこと。
そんなシリアスな状況の中、いつもの超然とした様子であの死神・千葉が登場します。
ストーリーの目的はすごくシンプルで、『両親がどう復讐を果たすか?』。
物語は一つの明確な終着点に向かって進んでいきます。
序盤から明らかなポイントは、千葉が訪れ死を約束された人物は殺人犯ではなく、娘を殺された夫婦のどちらか、ということ。
展開に大きな起伏はないものの、一旦掴まれたらじわじわと引き込まれ、じっくりと楽しめる作品になってます。
『死神の浮力』ショートレビュー・注目ポイント
- 良心のカケラもない凶悪な愉快犯との対決
- 予期しない形で復讐劇に影響を与える死神・千葉
- 渡辺一夫の『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』という問い
良心のカケラもない凶悪な愉快犯との対決
伊坂作品にはしばしば『純粋な悪の塊』のような人物が登場します。
本作の本城崇も良心を持たない『サイコパス』であり、いわば究極的な悪の権化です。
僕たちは普通自分の欲望をそのまま叶えることはできない。
『死神の精度』プロローグ16分頃
相手を傷つけたりルールを破ってしまうことを恐れるから。
ただ、良心を持たない人たちは無敵だ。できないことがない。
本城は序盤から読者の嫌悪感のメーターをひたすら上げていきます。
両親の遺産によって悠々自適に暮らす無職が、気まぐれで幼い女の子を殺害。
一旦捕まるものの無罪を勝ち取り、むしろ被害者として振る舞う。
そんな最悪な状況から復讐劇は始まり、さらにメーターを振り切っていきます。
タイトルと掛けて言うと、そういった完璧な悪は伊坂作品の『浮力=軽さ』の要因でもあると思います。
感情移入できる『悪』だと成敗された時に読者に『重く割り切れ余韻』を残しますが、完璧な悪の場合に生まれるのは純粋な爽快感のみ。
情状酌量の余地がないほど勧善懲悪ものとしてエンタメの強度が高まります。
そして、伊坂作品は決して胸クソのままでは終わらないという予感・一種の信頼があるから、読者は安心して楽しめます。
予期しない形で復讐劇に影響を与える死神・千葉
ストーリーの軸は両親 vs 殺人犯・本城のバトル。
死神の千葉は本筋とは無関係です。
でも、千葉は例によって人の懐にスッと入る特性で、極限的な状況の両親(調査対象)と行動を共にします。
その中で、事件と無関係な千葉が復讐劇のキーパーソン的な働きをします。良くも悪くも。
千葉だけでなく、死神界のある『情勢』も復讐に大きく影響します。
死を司る『情報部』が近頃死者数を見誤っていた?という理由で、死神は『調査対象の死の判断は甘めでOK』とのお達しを受けます。
この『情報部の失敗』が回り回ってストーリーの大きな分岐点となります。
渡辺一夫の『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』という問い
作中、山野辺遼は何度か『渡辺一夫』の言葉を引用します。
『渡辺一夫』なる人物は初見だったのですが、確認したら実在の人物でした。
作中と同内容の著書も存在します。
『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』という問いはサイコパス本城に対し、山野辺自身が『どう在るべきか?』という葛藤の中で引き合いに出されます。
やがて、山野辺はその問いに自分なりの答えを見出すのですが、この問いは作品全体を通底する一種のテーマとなってます。
自問の果てに山野辺自身が見出した回答とは?
読者も山野辺の結論や自分なりの答えを考えながら読むと面白いと思います。
『死神の浮力』作品情報
簡単なあらすじ
一年前、小説家の山野辺遼は無惨な殺人事件により一人娘を失った。
犯人は25人に一人の確率で存在するというサイコパス、本城崇。
本城は既に逮捕されていたが、下った裁判の判決は無罪。
しかし、本城の正体を確信している山野辺夫妻の復讐の念は揺るがない。
そんな二人の元に、人の生死を見定め、見届ける死神・千葉が現れるー。
死神の仕事は人の姿をして対象者に接触。7日間『調査』し、特段理由がなければ8日目に死が実行されます。
『調査』の中身は相変わらずよく分かりませんが、とにかく対象者と話し、観察することが主な仕事です。
本作でもクールでどこか憎めない千葉のキャラクターは健在。
音楽を愛し、時々チグハグな言動をし、人にも人の生死にも興味がない。そして、忠実に任務を遂行することをモットーとしてます。
主な登場人物・人物相関図
![『死神の浮力』主な登場人物・人物相関図](https://guideandreviews-library.com/wp-content/uploads/2023/02/shinigaminohuryoku-isakakoutarou01-1024x666.jpg)
15時間以上の長編としてはかなり人数も関係性もシンプルで、オーディオブックでも理解しやすいです。
詳しい登場人物まとめ
オーディオブックだと頭に入ってこない事があるため、なるべく全人物メモしてます。同様の方がいたら参考にしてください。
※オーディオブックでの視聴のため、未確認の表記はカタカタ。漢字は主に公式かwikipedia参照。
千葉 | 死神。音楽好き。亡くなる予定の人間を『調査』。35歳(の設定)。 |
山野辺遼 | 小説家。35歳。 |
山野辺美樹 | 遼の妻。34歳。 |
山野辺菜摘 | 山野辺夫婦の一人娘。一年前に本城崇によって殺害。 |
ミノワ | 山野辺の担当編集者。 山野辺遼の恩人的な存在。 |
香川ユミコ | 千葉の同僚の死神の女性。 |
本城崇 | 山野辺夫妻の娘を殺害。 28歳。サイコパス。両親の遺産で暮らす。 |
オザワ | 本城崇の弁護士。 |
サコ | 本城が隠れてる家の持ち主。 高齢の男性。 |
老女 | 事件の証言者。本城を目撃したという証言を覆す。 |
轟 ミツグ | 事件の証拠ビデオの提供者。ひきこもり。 |
レインコートの男達 | 3人。 |
オギヌマ | 配食サービスのスタッフ。 山野辺の小説の読者。 |
タナカ | 配食サービスのスタッフ。 |
マキタ | 保育園の送迎運転手 |
タイトル『死神の浮力』の意味・由来
『Day3』に『浮力』に関する話を千葉と同僚の死神・香川がしている箇所があります。
※ この会話自体は物語において重要ではないです。
香川『水の中で浮いてる氷が溶けても全体の体積は変わらない。それは人と似てる。人が死んでも全体として何かが減るわけではない。』
それに対し千葉『一人の人間の死も総体としては影響がない』と同意。
また、二人は『氷は溶けても水として残りなくならない』『人も死んだ後、人の記憶に残る。氷と同じように死んでもなくならない』という話をします。
主にそんな『水に浮く氷/人の死』にまつわる会話、共通点がタイトルの由来になってると思われます。
だいぶフワフワした印象の会話ですが、伊坂作品らしい話の流れだなと思います。
仕事に真面目な千葉は『浮力は地味に真面目に働く』と好感を持ち、自分を重ねたりもします。
『浮力』はストーリーのてん末にも関わってきます。
その点はネタバレになるので、問題ない場合はクリックして確認してください。
ラスト、復讐の結末の経緯は省略。
『Day6』最後、犯人本城崇と山野辺遼が乗った車が湖に飛び込もうとします。
山野辺は直前に脱出しますが、本城は車と共に湖に沈み、自転車で二人を追いかけていた死神・千葉も湖に落ちます。
本城はそのまま沈みTHE ENDとなりますが、千葉は浮き上がってきます。
そして、無事を喜ぶ山野辺に『俺は何もしていない。浮力が働いただけだ』と言います。
『死神』の『浮力』はこの復讐の結末・会話のやりとりにも由来すると考えられます。
車で湖に飛び込む直前、山野辺は本城に『ところで、お前って誰だっけ。名前なんだった?』と吐き捨てます。
山野辺の言動は本城の『人の印象に残りたい。忘れられたくない』という性格・願望への当てつけでしょう。
同時に、読者視点で見ると、死神二人の『氷は溶けても水として残る。人が死んだ後も人の記憶として残る』という会話と響き合うものがあるように感じます。
つまり、『人は死んでも人の記憶として残る。だが、お前(本城)は記憶に残す価値はない』、ひいては『お前は人ならざる存在だ』と言ってるようにも聞こえます。
シリーズ・聴き順
『死神』シリーズはで2作発表されており、『死神の千葉がターゲットの元に訪れ、最後の7日間を見届ける』という設定は共通してます。
タイトル | 形式 | 再生時間 |
---|---|---|
死神の精度(2005) | 6編の短編集 | 10 時間 3 分 |
死神の浮力(2013) | 長編 | 15 時間 39 分 |
大きな違いはボリュームで、続編の方がだいぶ長いです。
また、ストーリー的にも死神の設定の他に、『娘を殺された両親の復讐』という太い幹が加わります。
どちらがお勧めかというと、個人的には元々長編が好きなのもあって続編の方です。
読む順番は本作を飛ばしても問題ないと言えばないですが、両方読むのなら1作目から読むことをお勧めします。
順番通り読むと、続編で最初千葉が登場するシーンはよりテンションが上がるとは思います。
シリーズ関連記事
『死神の浮力』ナレーションについて
ナレーションは『天満 智史』氏一人。
前作『死神の精度』と同じキャスティングで、まず違和感がなく良かったです。
レビューを見ると『抑揚、スピード感、キレ』などの面でマイナス評価があるようです。
感情を乗せすぎないフラットなトーンは個人的にはマッチしてました。
自分は伊坂作品全般、声質は中性的、感情や情緒性は控えめで淡々とした調子が合う印象があります。
もし上記の点が引っかかる場合、再生速度を上げるだけでだいぶ緩和されるかもしれません。
あとがき
前作、連作短編集『死神の精度』と打って変わって長編小説になった続編。
より没入して長く楽しめました。
伊坂作品の中ではメジャーな方ではないかもしれないですが、個人ランキングではかなり上位に入ります。
これだけ最小限の登場人物とシンプルな構成で、これだけの長編を読ませるところに筆者の非凡さを感じます。
著者 | 伊坂 幸太郎 |
ナレーター | 天満 智史 |
再生時間 | 15 時間 39 分 |
発行年 | 2013 |
配信日 | 2019/03/15 |
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