エッセイを読んで感じる作品と村上春樹本人の3つのイメージのギャップ

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自分は以前から、村上春樹は『作品から受ける作家のイメージ』と『実際の本人のイメージ』のギャップが大きい小説家だと感じてました。

そして、最近村上春樹の自伝的エッセイ『職業としての小説家』を聴いた際も同じことを思いました。

そこで、この記事では『作品から受けるイメージ・作家像』『エッセイを読んで感じる本人の印象』とのギャップについてまとめてみました。

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エッセイを読んで感じた作品のイメージと作家本人のイメージのギャップ

ざっくりと3つのポイントに絞ってます。

  • 『一般的な文学者のイメージ』とのギャップ
  • 『純文学に付随する様々なイメージ』とのギャップ
  • 『外の世界にあまり開かれていないイメージ』とのギャップ

『作品から受けるイメージ・作家像』にはこういう3つのイメージがあるんじゃないかと想像します。

個人的な想像ですが、一般的にも多かれ少なかれこんな風に思われてそう、という前提で書いてます。

一般的な文学者のイメージとのギャップ

作品から受けるイメージエッセイで感じる本人のイメージ
自由気ままで気だるそうな生活
どこか退廃的で不健康・不健全
規則正しすぎる生活とストイックすぎる運動習慣

まず一番分かりやすくギャップがあって、意外に感じるのはこの点な気がします。

例えば、ペンより重いものは持たなそうな太宰治とペンより刀が似合う三島由紀夫。

村上春樹にそこまで古典的な文学者のイメージはないかもしれませんが、太宰と三島、どちらのイメージに近いかというとおそらく太宰です。

でも、エッセイを読むと村上は規則正しい生活/運動習慣を信条としていて、人並みはずれてタフなのが伝わってきます。

本書では触れられてませんが、過去に100キロマラソンを走破した話は有名です。今タイムを確認したら約12時間。速い遅いではなく12時間走れること自体驚異的です…。

それでいて、村上作品の登場人物がそんなストイックに体を鍛えてるイメージはなく、こういうところが『ギャップがすごい』と思う所以です。

長編小説の執筆時も毎日きっちり同じサイクルで書き続けるらしく、健康的という以上に超人的とすら思えます。

起きるのも朝2時とか3時だとか。もはや早起きの範疇に収まるか疑問です…。

そういった体の健全さを重視してるのは、『身体性は精神性と密接にリンクしてるから』といった理由がエッセイで語られてます。

純文学に付随する様々なイメージとのギャップ

完全に分けられるものではないので、大まかな分類ですが。

作品から受けるイメージエッセイで感じる本人のイメージ
精神的
空想的
観念的
抽象的
ファッション的
保守的
封建的
身体的
現実的
実践的
具体的
プラクティカル(実利的)
実験的
開拓精神

前者はやはり昔ながらの純文学っぽいイメージ。
後者は言葉だけ見ると今風のビジネス書のようなイメージ。

村上作品はリアルなビジネス書とはかけ離れてるイメージがあると思います。

例えば、今浮かんだ例だと『ねじまき時クロニクル』。


主人公岡田トオルは仕事をやめ、のんびり暮らし、ある日妻が去ると、井戸に潜って考え込みます。
いかにも村上作品らしく、生々しくリアルな生活感に欠けてます。

しかし、エッセイを読むと後者の『ビジネス書』っぽい要素が散見されます。

例えば、村上春樹は学生結婚をした後、小説家になるまでの7年間ジャズ喫茶を自分で経営しています。

シビアな経済事情の中、朝から晩までみっちり労働していた様子が本作の中でも語られてます。

仕事をやめ、井戸に潜んで思索に耽る岡田トオルとは似ても似つきません。

また、エッセイで特に感じたのが『プラクティカル(実利的)』な一面。

村上は高校生の頃から、好きな英語の小説を原文で読んでたそうです。

学校の勉強はしないしテストの点数も悪かった。でも、英語の小説を沢山読むから英語は読めた。

こういう『名をとらず実をとる』ところにプラクティカルな性向をすごく感じます。

他にも、作品から『実験的・開拓精神』といったアクティブな印象はあまり受けませんが、本人からはそういったメンタリティをすごく感じます。

『実験的』でいうと『文章を一旦英語で書いてから日本語に直す』という異例の方法で自分の文体を確立していったこと。(第4回『オリジナリティーについて』)

『開拓精神』でいうと、海外に移住し、文字通り自ら海外の市場を開拓していった経緯が語られてます。(第十一回『海外へ出ていく。新しいフロンティア』)

繰り返すと、妻に出ていかれて、ひたすら井戸に籠る主人公の片鱗は全く見えません。

エッセイからはすごく合理的なビジネスマンのような村上春樹の姿も見えてきます。

外の世界にあまり開かれていないイメージとのギャップ

作品から受けるイメージエッセイで感じる本人のイメージ
厭世的
非社会的
クローズドマインド
社交的
社会的
オープンマインド

これも分かりやすい対比で言うと、『ライ麦畑でつかまえて』のサリンジャーと『ホテル・ニューハンプシャー』のアーヴィング。

ライ麦とサリンジャーは『厭世的/非社会的/クローズドマインド』といった文学イメージの一面を体現したような存在。著者は後年完全に世間と隔絶した隠遁生活を送ってました。

一方、近くに住んでたというアーヴィングは社交的で活動的、『自分はサリンジャーとは違う』と言ったというエピソードもあります(爆笑問題太田光との対談)。

村上作品のイメージはどちらかと言ったらやはり前者だと思います。日本語版訳者として『ライ麦』を翻訳してますし。

でも、エッセイからは積極的に他者や社会にコミットする様子が伝わってきます。

最もそういった側面が表れてる例はオウムに関する一連の執筆活動。

『アンダーグラウンド』では被害者の声を集め、その続編では精神科医の河合隼雄と対談を行ってます。

本書では逝去された河合先生との思い出を語っていて、その点でも価値が高い一冊です。

また、村上春樹は日本では露出がほぼ全くなく、見た記憶がないくらいです。

しかし、海外では結構表に出てインタビューに答えたり(エルサレム賞の『壁と卵』のスピーチが有名)、大学で臨時講師をやったりもしてます。

この違いは一読者として不思議だったのですが、本書ではその理由が語られてます。

曰く、『海外で日本人作家としての責務を自覚した上での行動』とのこと。

作品を読むと一部の人間関係の中で閉じた印象が強いですが、実際の作者からはむしろ一般的な小説家よりも強く外の世界にコミットしようとする意識が感じられます。

あとがき

『村上作品から受けるイメージ・作家像』と『エッセイを読んで感じる本人の印象』とのギャップについてでした。

反対に、イメージ通りな面もあると思います。

『個人主義』的なところとか、すごく丹念な考え方、丁寧な生き方をしてるところとか。

社会的ではありますが、かといって積極的に人付き合いするタイプではないようです。そういう面では作品とのギャップはありません。

エッセイを読むと、そんなイメージ通りな一面と意外な一面の発見が色々あるので、小説作品しか読んだことない方はきっと面白いと思います。

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