『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎著(2021)。
公式サイトや帯で『作家生活20年超の集大成』と謳われている長編小説です。
未来が見える国語教師が奇妙なテロ事件に巻き込まれるー?
飛沫を浴びた人の未来が見える国語教師 × 生徒の自作小説に登場する物騒な二人組 × とある人質籠城事件の被害者遺族たち。
未来予知能力が平凡な日常の歯車を狂わせ、現実とフィクションの境が朧げになった時、新たな『悲劇』が生まれるー。
インタビューで『得意パターン全部のせ』と著者本人がコメントしてる通り、伊坂作品らしさが詰まった一作になってます。
伊坂作品は比較的どの物語も『伊坂作品らしさ』を感じやすいですが、『ペッパーズ・ゴースト』は特に『らしい』要素が色々と浮かびます。
そんな中、本作の一番の特徴、伊坂作品の真骨頂と言えるのは、現実とフィクションの『あやふやさ』じゃないかと思います。
そこに存在するけど存在していない。もしくは存在してないのに存在しているように見える。
まるで『幽霊』のように。
それがタイトルの意味にもつながってきます。
『ペッパーズ・ゴースト』ショートレビュー・注目ポイント

- 伊坂作品の魅力・『らしさ』が詰まった集大成的作品
- 未来が見えることによる檀先生の悩みと葛藤
- 副テーマとして随所で引用されるニーチェの哲学・『永遠回帰』思想
伊坂作品の魅力・『らしさ』が詰まった集大成的作品
『僕の本を読んでくれている人なら分かると思うんですが、今回は、得意パターン全部乗せなんですよね。自分の家の冷蔵庫にあるものを全部使いました、という感じで(笑)。』
『ペッパーズ・ゴースト』公式著者インタビュー
確かに初めての食材ではなく、作り慣れた食材で作った感が伝わりますし、色々な過去作との共通項が浮かびます。
▶︎ ネコジコハンターのロシアンブルとアメショー。
性格が正反対の凸凹コンビは『マリアビートル』の蜜柑と檸檬。
これは多くの人が連想しやすいと思います。
▶︎ 『先行上映』能力がある檀千郷
ちょっとした特殊能力を持つ主人公は『魔王』の安藤(自分で思ったことを相手に喋らせる)。
未来が見える能力は『オーディボンの祈り』のカカシを彷彿とさせます。
次のような小説の作りもまさにいつもの伊坂作品。
- 現実とフィクション・日常とファンタジーの境界が曖昧な独特な雰囲気の世界観
- 複数人の視点で同時並行して進む物語構成
- 次第に全てが収斂し、後味良く締めくくられるエンディング
他にも伊坂作品を読んだことある人なら色々思い浮かぶ要素がありそうです。
未来が見えることによる檀先生の悩みと葛藤
先行上映能力は手放しで喜べる能力ではなく、檀先生は能力によって葛藤も抱えてます。
人の不幸な未来が見えたとしても、何もできない時の罪悪感や無力感。
その積み重ねが檀先生の心理的な負担になってます。
同じ能力を持つ父親も同様の悩みを抱え、カウンセリングに通うこともあったと述懐してます。
後半、サークルメンバーが起こす『事件』は檀先生と直接関係ありません。
でも、その事件の中で先行上映能力が鍵となり、檀先生の能力に対する心境の変化が作品の一つのテーマになっています。
副テーマとして随所で引用されるニーチェの哲学・『永遠回帰』思想
作中、哲学者ニーチェの言葉と思想が度々引き合いに出されます。
事件で大事な人を失った虚無感とニーチェのニヒリズム(虚無主義)が響き合う形で、主にサークルメンバーが口にします。
特に注目されるのが人生が永遠に繰り返されるという『永遠回帰』思想。
序盤、『こんな悲惨な思いが永遠に繰り返されて何度も味わうなんてなんて』とメンバーが嘆いたりします。
一つ思うのは、ニーチェのニヒリズムはポジティブかネガティブかで言ったらポジティブ、のはずです。
でも、ニヒリズムという言葉からやはりネガティブな印象も抱かれやすく、サークルメンバーに至っては絶望的な気分すら覚えます。
文脈的には『永遠回帰』はニーチェが批判したキリスト教の『死後の世界や救済』に対するカウンターとして提唱されたものです。
そんな流れで見ると、永遠回帰の根本にあるのは死後の存在を否定し、ただ現世のみを肯定することであって、『死後の救済よりも、今生きてるこの人生の幸福を求める』ポジティブな概念だと考えられます。
なので、細かいことは分かりませんが、基本的には前向きなものと受け取るのが妥当なんじゃないかと思います。
作中でも全体を通して見ると、公式インタビューにある『久しぶりにニーチェを読み直したら前向きな印象に変わった』という著者の考えが反映されたものになってると感じます。
『ペッパーズ・ゴースト』作品情報

簡単なあらすじ
『飛沫感染』することでその人の未来が見える『先行上映』能力を持つ中学の国語教師、檀千郷。
檀の生徒、布藤鞠子が書く小説の登場人物である猫を虐待する人間を懲らしめる2人組、ロシアンブルとアメショー。
犯人が籠城し、人質が殺害されたカフェ・ダイヤモンド事件の被害者遺族である成海彪子たち、サークルメンバー。
ある時、檀が一人の生徒の『先行上映』を見てしまったことで、それまで接点のなかった三者の命運が交錯し始めるー。
序盤これといった関係性も方向性も見えにくく、あらすじだけではピンときにくいです。
全体を通しても捉えどころがない印象は残り、この辺も伊坂作品らしいといえばらしいです。
檀千郷はごく普通の中学校の教師で、『人の飛沫を浴びると後にその人視点の未来の映像が断片的に見える』というちょっとした特殊能力を持ってます。この『飛沫感染』という設定には時期的にコロナの影響を感じます。
未来予知は父親から遺伝した能力で、映画になぞらえて『先行上映』と名前を付けたのも檀の父親です。
ある時、檀は生徒・里見大地のくしゃみを浴びたことから、偶然、大地の乗った新幹線の事故を予見。架空の占い師の言葉として大地に乗車を止めるよう忠告します。
その流れで檀は大地の父親、里見八賢に会うのですが、実は八賢の仕事は日本版CIAと言われる内閣情報調査室。『檀は新幹線事故?事件?に関与してるのでは?』と疑いを持たれるあたりで色々歯車が狂ってきます。
また、八賢はカフェ・ダイヤモンド事件という人質籠城事件で恩師をなくすという過去を持っています。
5年前、犯人が『ダイヤモンド』というカフェに人質と共に立て篭もり、人質が犠牲になったテロ事件。当時、生中継していたテレビ番組の司会者・マイク育馬の『失言』が最悪の結果を招いた可能性が指摘され、被害者遺族に遺恨を残している。
被害者遺族である成海彪子たちはサークルを作っていて、そこに八賢も顔を出しています。
そんな形で檀と関係のないサークルメンバーに接点が生まれます。
物語は檀・成海彪子の他に、生徒の布藤鞠子が書いた小説(小説内小説)が軸となって進みます。
猫を虐待する『猫を地獄に送る会(ネコジコ)』を退治するネコジコハンター、心配性のロシアンブルと楽天家のアメショーを描いた物語。二人は被害を受けた飼い主の一人に雇われ、粛々とネコジコたちを探し出し容赦なく非情に懲らしめていく。
残忍ながら飄々としていて、性格が正反対の凸凹コンビというキャラクターも伊坂作品らしい。
物語の中心となるのは、過去の事件の被害者であるサークルメンバーが今度は自分たちで起こそうとしているある『事件』。しかもそれは一つという訳ではなく…。
そこに檀と小説の物語・登場人物、そしてタイトルの意味がどう絡んでくるかが鍵になってきます。
主な登場人物・人物相関図

『ペッパーズ・ゴースト』詳しい登場人物まとめ
オーディオブックだと頭に入ってこない事があるため、なるべく全人物メモしてます。同様の方がいたら参考にしてください。
※オーディオブックでの視聴のため、正確な表記が不明/誤りがある場合があります。漢字はwikipediaや本を参照。

| 檀千郷 | 中学校の国語教師。特殊能力『先行上映』で未来を予知できる。 |
| 檀の父・母 | 父は『先行上映』の能力を持つ。 |
| 里見大地 | 檀の生徒。バレーボール部。 |
| 里見八賢 | 大地の父親。内閣情報調査室勤務。 |
| 布藤鞠子 | 自作小説を書く。猫を虐待する人間を懲らしめるネコジコハンターの話。 |
| 友沢笑里 | 中学生。布藤鞠子の友達。 |
| 吉村 | 中学校の数学教師。40歳手前。 |
| マイク育馬 | 横柄な態度のテレビ番組司会者。 |
| 小説の登場人物 | |
|---|---|
| ロシアンブル | ネコジゴハンターの一人。 心配性な性格。 |
| アメショー | ネコジゴハンターの一人。 楽天的な性格。 |
| カジさん | ネコジゴハンターの協力者。家事代行サービス。 |
| 罪村 | ネコジゴの一人。 |
| 罰森罰太郎 | ネコジゴの一人。仮想通貨で財をなす。 |
| アクノアクミ | ネゴジゴの一人。33歳独身。外資系商社社員。 |
| サークルメンバー。事件の被害者遺族 | |
|---|---|
| 成海彪子 | カンフー映画を好む20代女性。事件で両親をなくす。 |
| 庭野 | サークル発起人でまとめ役の30代の庭師。事件で婚約者をなくす。 |
| 野口勇人 | サークル発起人。20代。姉(庭野の婚約者)をなくす。 |
| 羽田野 | 元小学校校長。60代。 |
| 康雄・康江 | 医師と看護師の夫婦。60代。 |
| 哲夫 | 事件で妻子をなくす。50代。 |
| 沙央莉 | 事件で夫をなくす。20代。 |
| 将五 | 事件で兄をなくす。20代。哲夫、沙央莉と同じ苗字。 |
タイトル『ペッパーズ・ゴースト』の意味・由来
『ペッパーズ・ゴースト』とは映像に関する用語で視覚トリックの一種です。
劇場などで板ガラスと特殊照明を使って、本来そこに存在してないものを存在してるかのように見せる技法を指します(wikipedia参照)。
『ゴースト(幽霊)』はそこに存在しないのに存在するかのように見えるところから。
『ペッパー』は人物名で、考案者ではなく、改良して考案者と共に特許を取得した人物だそうです。
タイトルの由来は完全にネタバレを含むので、問題ない人だけクリックして確認してください↓
布藤鞠子の小説に登場するネコジゴハンターのロシアンブルとアメショー。
檀が野口勇人によってトイレに監禁されている時、その小説の登場人物であるはずの二人組が実際に目の前に現れます。二人組は野口勇人を追っている中、偶然勇人の家に監禁されてる檀に気づき、救出してくれます。
その時、檀の頭に浮かんだのが『ペッパーズ・ゴースト』という言葉です。
思い出したのは『ペッパーズ・ゴースト』という言葉だ。
(Audible『檀先生』残り5時間29分頃)
劇場や映像の技術の一つで、ペッパーさんなる人が関係していたはずだが、照明とガラスを使い、別の場所に存在するものを観客の前に映し出す手法だ。
本来はそこにいない、別の隠れた場所に存在するものがあたかもいるかのように登場する、小説の中の二人組がスポットライトを当てられ、私の前に出現したと言われればそうかもしれないと思いたくなった。
もう一つ、作品の終盤でもペッパーズゴーストについて触れられてます。(Audible『檀先生』残り17分頃)
ここからの説明は全部書くと長くなりすぎるので簡単に。
庭野たちサークルメンバーは人質籠城×爆破事件を起こして、人質と共に死亡します。
(実は人質も同じサークルメンバー)
しかし、庭野たちの本当の目的は集団自殺ではなく、
『警察は人質がいても犯人の思い通りにならないという前例となり、今後の事件の抑止力となること』
『そのために警察とも口裏を合わせた上で計画を実行。実は庭野たちも亡くなってない』
と檀は推測します(この推測はそれほど可能性が高いようには思えませんが…)。
つまり、事件そのものが見せかけで、庭野たちは実際には他の場所に存在している。『ペッパーズ・ゴースト』のように。
これはあくまで檀の想像ですが、そんな形でも『ペッパーズ・ゴースト』が引き合いに出されてます。
『ペッパーズ・ゴースト』ナレーションについて

ナレーターは岡井カツノリ氏、三木 美氏の二人。
檀先生とネコジコハンターの章は岡井氏、サークルメンバー、成海たちの章は三木氏が担当してます。
感想は特に引っかかるところもなく、安心して聞けました。
本だと巻末に参考文献があるようなんですが、Audibleでは読み上げられなく、PDFもないのは残念でした。
あとがき

『伊坂作品の集大成』と何度か書きましたが、初めての伊坂作品として最適かと言うとそういう訳ではない気がします。
これはなんとなくですが、『ペッパーズ・ゴースト』はベストアルバム的というか。
『らしい要素』はベストの方が幅広く含まれてるかもしれないけど、『らしさの濃度』はオリジナルアルバムの方が高いというか。
個人的に初めての人にはベストよりオリジナルアルバムをお勧めしたいのと同じ感覚で、最初の一冊としては違う長編をお勧めすると思います。
とはいえ、『強くお勧めできない理由も特にない』程度なので、一冊目やファン歴が浅い方でも全然おすすめできます。
| 著者 | 伊坂 幸太郎 |
| ナレーター | 岡井 カツノリ、三木 美 |
| 再生時間 | 12 時間 22 分 |
| 発行年 | 2021 |
| 配信日 | 2021/10/01 |
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